169 藤原敏行朝臣ふぢはらのとしゆきのあそん 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 秋分の日に詠んだ歌 170 紀貫之 川風の涼しくもあるかうちよする波とともにや秋は立つらむ 立秋の日に、殿上人たちが賀茂の河原で川逍遥するお供をして詠んだ歌 171 詠み人知らず 我が背子が衣の裾を吹返しうらめづらしき秋の初風 題知らず 172 詠み人知らず 昨日きのふこそ早苗さなへとりしかいつのまに稲葉いなばそよぎて秋風の吹く 題知らず 173 詠み人知らず 秋風の吹きにし日より久方の天の川原かはらに立たぬ日はなし 題知らず 174 詠み人知らず 久方の天の河原かはらの渡し守君渡りなば舵かぢ隠してよ 題知らず 175 詠み人知らず 天の川紅葉を橋に渡せばや織女たなばたつめの秋をしも待つ 題知らず 176 詠み人知らず 恋ひ恋ひて逢ふ夜は今宵こよひ天の川霧立ち渡り明けずもあらなむ 題知らず 177 紀友則 天の川浅瀬白波辿りつつ渡り果てねば明けぞしにける 寛平の御代、七日の夜、殿上人ども歌奉れと仰せがあったとき、人に代わって詠んだ歌 178 藤原興風ふぢはらのおきかぜ 契りけむ心ぞ辛き七夕たなばたの年に一度ひとたび逢うあふは逢うあふかは 寛平御時后きさいの宮の歌合せうたあわせの歌 179 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 年毎に逢ふとはすれど七夕たなばたの寝るぬる夜よの数ぞ少なかりける 七日の日の夜に詠んだ歌 180 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 七夕にかしつる糸の打ちはへて年のを長く恋ひや渡らむ 七日の日の夜に詠んだ歌 181 素性法師そせいほうし 今宵来む人には会はじ七夕たなばたの久しきほどに待ちもこそすれ 題知らず 182 源宗于朝臣みなもとのむねゆきのあそん 今はとて別るる時は天の川渡らぬ先に袖ぞ浸ぢぬるひぢぬる 七日の夜の暁に詠んだ歌 183 壬生忠岑みぶのただみね 今日よりは今来む年の昨日きのふをぞいつしかとのみ待ちわたるべき 八日の日に詠んだ歌 184 詠み人知らず 木の間このまより漏りくるもりくる月の影見れは心尽くしの秋は来にけり 題知らず 185 詠み人知らず 大方おほかたの秋来るからに我が身こそかなしきものと思ひ知りぬれ 題知らず 186 詠み人知らず 我がためにくる秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞかなしき 題知らず 187 詠み人知らず ものごとに秋ぞかなしき紅葉もみぢつつ移ろひゆくを限りと思へば 題知らず 188 詠み人知らず ひとり寝るぬる床とこは草葉くさばにあらねども秋来る宵よひは露けかりけり 題知らず 189 詠み人知らず いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことの限りなりける 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 190 凡河内躬恒おほしかふちのみつね かくばかり惜しをしと思ふ夜を徒いたづらに寝て明かすらむ人さへぞ憂き 雷の壺に人々が集まって秋の夜を惜しむ歌を詠んでいたときに機会があって詠んだ歌 191 詠み人知らず 白雲に羽打ちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月 題知らず 192 詠み人知らず さ夜なかと夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月わたる見ゆ 題知らず 193 大江千里 月見れは千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 194 壬生忠岑みぶのただみね 久方の月の桂も秋はなほ紅葉もみぢすればや照りまさるらむ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 195 在原元方ありはらのもとかた 秋の夜の月の光し明かければくらぶの山も越えぬべらなり 月を詠んだ歌 196 藤原忠房ふぢはらのただふさ きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる 人のところを訪ねた夜、きりぎりすが鳴いたのを聞いて詠んだ歌 197 藤原敏行朝臣ふぢはらのとしゆきのあそん 秋の夜の明くるも知らず鳴く虫は我がこと物やかなしかるらむ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 198 詠み人知らず 秋萩も色づきぬればきりぎりす我が寝ぬことや夜はかなしき 題知らず 199 詠み人知らず 秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫の侘ぶれは 題知らず 200 詠み人知らず 君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫の音ぞかなしかりける 題知らず 201 詠み人知らず 秋の野に道も惑ひぬ松虫の声こゑする方に宿や借らまし 題知らず 202 詠み人知らず 秋の野に人まつ虫の声こゑすなり我かとゆきていざとぶらはむ 題知らず 203 詠み人知らず 紅葉葉もみぢばの散りて積もれる我が宿に誰をまつ虫ここら鳴くらむ 題知らず 204 詠み人知らず ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける 題知らず 205 詠み人知らず ひぐらしの鳴く山里の夕暮れゆふぐれは風よりほかに問ふ人もなし 題知らず 206 在原元方ありはらのもとかた 待つ人にあらぬものから初雁の今朝鳴く声こゑのめづらしきかな 初雁を詠んだ歌 207 紀友則 秋風に初雁が音ねぞ聞こゆなる誰が玉梓たまづさを掛けて来つらむ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 208 詠み人知らず 我が門かどに稲負鳥いなおほせどりの鳴くなへに今朝吹く風に雁は来にけり 題知らず 209 詠み人知らず いと早はやも鳴きぬる雁か白露の彩る木木も紅葉もみちあへなくに 題知らず 210 詠み人知らず 春霞はるがすみ霞みてかすみて去にしいにし雁が音かりがねは今ぞ鳴くなる秋霧あきぎりの上うへに 題知らず 211 詠み人知らず。一説、柿本人麻呂 夜を寒みさむみ衣ころも雁が音かりがね鳴くなへに萩の下葉したばも移ろひにけり 題知らず。この歌は、ある人が言うには、柿本人麻呂の歌だという。 212 藤原菅根朝臣ふぢはらのすがねのあそん 秋風に声こゑを帆にあげて来る舟は天あまの戸渡る雁にぞありける 寛平御時后きさいの宮の歌合せうたあわせの歌 213 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 憂きことを思ひつらねて雁が音かりがねの鳴きこそわたれ秋の夜な夜な 雁が鳴いたのを聞いて詠んだ歌 214 壬生忠岑みぶのただみね 山里は秋こそことに侘びしけれ鹿の鳴く音ねに目を覚ましつつ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 215 詠み人知らず 奥山に紅棄踏みわけ鳴く鹿の声こゑ聞く時ぞ秋は悲しき 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 216 詠み人知らず 秋萩にうらびれをればあしひきの山下やましたとよみ鹿の鳴くらむ 題知らず 217 詠み人知らず 秋萩を柵しがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ 題知らず 218 藤原敏行朝臣ふぢはらのとしゆきのあそん 秋萩の花咲きにけり高砂の峰上をのへの鹿は今や鳴くらむ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠んだ歌 219 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 秋萩の古枝ふるえに咲ける花見れば本の心は忘れざりけり 昔親しくさせていただいていた人が、秋の野に会って物語して、そして詠んだ歌 220 詠み人知らず 秋萩あきはぎの下葉したば色づく今よりやひとりある人の寝ねいねがてにする 題知らず 221 詠み人知らず 鳴きわたる雁の涙や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上うへの露 題知らず 222 詠み人知らず、一説、奈良の帝 萩の露玉に抜かむと取れば消ぬけぬよし見む人は枝ながら見よ 題知らず、ある人がいうには、この歌は奈良の帝の御歌だという。 223 詠み人知らず 折りてをりて見ば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露 題知らず 224 詠み人知らず 萩が花散るらむ小野をのの露しもに濡れてを行かむゆかむさ夜は更くとも 題知らず 225 文屋朝康ふんやのあさやす 秋の野に置く白露は玉なれや貫き掛くるかくる蜘蛛の糸筋いとすぢ 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠んだ歌 226 僧正遍昭そうじゃうへんぜう 名に愛でて折れるをれるばかりぞ女郎花をみなへし我堕ちにきと人に語るな 題知らず 227 布留今道ふるのいまみち 女郎花をみなへし憂しと見つつぞ行きすぐる男をとこ山にし立てりと思へば 僧正遍昭そうじゃうへんぜうのところに、奈良へ行ったときに、男山で女郎花を見て詠んだ歌 228 藤原敏行朝臣ふぢはらのとしゆきのあそん 秋の野に宿りはすべし女郎花をみなへし名を睦まじみ旅ならなくに 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠まれた歌 229 小野美木をののよしき 女郎花をみなへし多かるおほかる野辺のべに宿りせば文なくあやなく徒あだの名をや立ちなむ 題知らず 230 左大臣ひだりのおほいまうちぎみ 女郎花をみなへし秋の野風にうちなびき心ひとつを誰に寄すらむ 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 231 藤原定方朝臣ふぢはらのさだかたのあそん 秋ならで会ふことかたき女郎花をみなへし天あまの川原かはらに生ひぬおひぬもの故ゆゑ 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 232 紀貫之 誰たが秋にあらぬもの故ゆゑ女郎花をみなへしなぞ色に出でてまだき移ろふ 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 233 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 妻恋ふる鹿ぞ鳴くなる女郎花をみなへし己おのが住む野の花と知らずや 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 234 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 女郎花吹き過ぎてくる秋風は目には見えねど香かこそ知るけれ 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 235 壬生忠岑みぶのただみね 人の見ることや苦しき女郎花をみなへし秋霧あきぎりにのみ立ち隠るらむ 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 236 壬生忠岑みぶのただみね ひとりのみ眺むるよりは女郎花をみなへし我が住む宿に植ゑて見ましを 朱雀院で行われた歌合せ・女郎花合せで詠んで奉った歌 237 兼覧王かねみのおほきみ 女郎花をみなへし後ろめたくも見ゆるかな荒れたる宿にひとり立てれば あるところに行ったとき、人の家に女郎花が植えてあるのを見て詠んだ歌 238 平貞文たいらのさだふん 花に飽かでなに帰るかへるらむ女郎花をみなへし多かるおほかる野辺に寝ねなましものを 寛平御時、蔵人所の人々が嵯峨野に花を見ようと出向いたとき、帰る際に皆歌を詠んだときに、次いで詠んだ歌 239 藤原敏行朝臣ふぢはらのとしゆきのあそん 何人なにびとか来て脱ぎ掛けし藤袴ふぢばかま来る秋毎に野辺を匂わすにほはす 是貞親王これさだのみこの家の歌合せで詠んだ歌 240 紀貫之 宿りせし人の形見か藤袴ふぢばかま忘られがたき香かに匂ひにほひつつ 藤袴を詠んで人に遣わした歌 241 素性法師そせいほうし 主ぬし知らぬ香かこそ匂へれにほへれ秋の野に誰たが脱ぎ掛けし藤袴ふぢばかまぞも 藤袴を詠んだ歌 242 平貞文たいらのさだふん 今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂に出づる秋は侘しかりけり 題知らず 243 在原棟梁ありはらのむねやな 秋の野の草の袂たもとか花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらむ 寛平御時后きさいの宮の歌合せうたあわせの歌 244 素性法師そせいほうし 我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影ゆふかげの大和撫子やまとなでしこ 寛平御時后きさいの宮の歌合せうたあわせの歌 245 詠み人知らず 緑なるひとつ草とぞ春は見し秋はいろいろの花にぞありける 題知らず 246 詠み人知らず 百種ももくさの花のひもとく秋の野を思ひ戯れむたはれむ人な咎めそ 題知らず 247 詠み人知らず 月草に衣は摺らむすらむ朝露に濡れての後のちは移ろひぬとも 題知らず 248 僧正遍昭そうじゃうへんぜう 里は荒れて人は老りふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる 仁和の帝が親王でいらっしゃったとき、布留の滝をご覧になるとお出かけの途中、遍昭へんぜうの母の家にお泊まりになった際、庭を秋の野に仕立て、ご歓談のときに続いて詠んで奉った歌