1 在原元方ありはらのもとかた 年の内に 春は来にけり 一年ひととせを 去年こぞとやいはむ 今年とやいはむ 旧年中に立春を迎えた日に詠んだ歌 2 紀貫之 袖浸ちて 結びし水の 凍れるこほれるを 春立つ今日けふの 風や融くとくらむ 立春の日に詠んだ歌 3 詠み人知らず 春霞 立てるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪は降るりつつ 題知らず 4 二条の后 雪のうちに 春は来にけり うぐひすの 凍れるこほれる涙 今や融くとくらむ 二条の后の春の始めの御歌 5 詠み人知らず 梅が枝えに 来居るきゐるうぐひす 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ 題知らず 6 素性法師 春立てば 花とや見らむ 白雪の かかれる枝に うぐひすぞ鳴く 雪が木に降り積もるのを詠んだ歌 7 詠み人知らず、一説に前太政大臣さきのおほきおほいまうちぎみ 心ざし 深く染めてし 折りをりければ 消えあへぬ雪の 花と見ゆらむ 題知らず。ある人が言うには、前太政大臣の歌である。 8 文屋康秀ふんやのやすひで 春の日の 光にあたる 我なれど 頭の雪と なるぞ侘しきわびしき 二条の后が東宮の御息所みやすんどころとお呼ばれであったとき、正月三日御前おまへに召してお言葉をたまわる間、日が照っているのに雪が頭に降りかかることを詠み奉った歌 9 紀貫之 霞立ち 木の芽このめもはるの 雪ふれば 花なき里も 花ぞ散りける 降る雪を詠んだ歌 10 藤原言直ふぢはらのことなほ 春や疾きとき 花や遅きと 聞きわかむ うぐひすだにも 鳴かずもあるかな 春の始めに詠んだ歌 11 壬生忠岑みぶのただみね 春来ぬと 人は言へども うぐひすの 鳴かぬかぎりは あらじとそ思ふ 春の始めの歌 12 源当純みなもとのまさずみ 谷風に 融くるとくる氷こほりの 隙ひまごとに うち出づる波や 春の初はつ花 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 13 紀友則きのとものり 花の香かを 風の便りに たぐへてぞ うぐひす誘ふ しるべには遣る 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 14 大江千里おおえのちさと うぐひすの 谷より出づる 声こゑなくば 春来るくることを 誰か知らまし 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 15 在原棟梁ありわらのむねはり 春立てど 花も匂はぬにほはぬ 山里やまざとは 物憂かる音に うぐひすぞ鳴く 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 16 詠み人知らず 野辺近く 家居いへゐしせれば うぐひすの 鳴くなる声こゑは 朝な朝な聞く 題知らず 17 詠み人知らず 春日野かすがのは 今日けふはな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり 題知らず 18 詠み人知らず 春日野の 飛火とぶひの野守のもり 出でて見よ 今幾日いくかありて 若菜摘みてむ 題知らず 19 詠み人知らず み山みやまには 松の雪だに 消えなくに 都は野辺の 若菜摘みけり 題知らず 20 詠み人知らず 梓弓 圧しておしてはる雨 今日けふ降りぬ 明日あすさへ降らば 若菜摘みてむ 題知らず 21 仁和の帝(光孝天皇) 君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 仁和の帝が親王であらせられるとき、若菜を下賜賜ってお詠みあそばされた御歌 22 紀貫之 春日野の 若菜摘みにや 白妙の 袖振りはへて 人の行くらむ 和歌を奉れとおほせがあったときに詠んで奉った歌 23 在原行平朝臣 春の着る 霞の衣ころも 緯ぬきを薄み 山風にこそ 乱るべらなれ 題知らず 24 源宗于むねゆき朝臣 常葉ときはなる 松の緑みどりも 春来れば 今一入ひとしほの 色まさりけり 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せのときに詠んだ歌 25 紀貫之 我が背子が 衣ころもはる雨はるさめ ふるごとに 野辺のべの緑ぞ 色まさりける 和歌を奉れとおほせられたときに詠んで奉った歌 26 紀貫之 青柳あをやぎの 糸縒り掛くるよりかくる 春しもぞ 乱れて花の 綻びほころびにける 和歌を奉れとおほせられたときに詠んで奉った歌 27 僧正遍昭そうじゃうへんぜう 浅緑 色よりかけて 白露を 珠たまにも抜ける 春の柳か 西大寺にしのおほてらのほとりの柳を詠んだ歌 28 詠み人知らず 百千鳥ももちどり さへづる春は 物ごとに 改まれども 我ぞふりゆく 題知らず 29 詠み人知らず 遠近をちこちの 手づきたづきも知らぬ 山中に 覚束なくおぼつかなくも 呼子鳥よぶこどりかな 題知らず 30 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 春来れば 雁帰るなり 白雲の 道行きゆきふりに 言こと伝てまし 雁の音が聞こえてきて、越へ行った知人を思って詠んだ歌 31 伊勢 春霞はるがすみ 立つを見捨てて 行く雁かりは 花はななき里さとに 住みやならへる 春になって雁が帰って行くのを詠んだ歌 32 詠み人知らず 折りつれば 袖こそ匂へ 梅の花 ありとやここに うぐひすの鳴く 題知らず 33 詠み人知らず 色よりも 香かこそあはれと 思ほゆれ 誰がたが袖振れし 宿やどの梅ぞも 題知らず 34 詠み人知らず 宿やど近く 梅の花植ゑじ あぢきなく 待つ人の香かに あやまたれけり 題知らず 35 詠み人知らず 梅の花 立ちよるばかり ありしより 人の咎むる 香かにぞ染みぬる 題知らず 36 東三条の左の大臣おほいまうちぎみ うぐいすの 笠に縫ふといふ 梅の花 折りてかざさむ 老い隠るかくるやと 梅の花の咲いた枝を折って詠んだ歌 37 素性法師 他所にのみ あはれとぞ見し 梅の花 飽かぬ色香いろかは 折りてなりけり 題知らず 38 紀友則 君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る 梅の花の咲いた枝を折って人に贈ったときの歌 39 紀貫之 梅の花 匂うにほふ春べは くらぶ山くらぶやま 闇に越ゆれどこゆれど 著くしるくぞありける 暗部山くらぶやまで詠んだ歌 40 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 月夜には それとも見えず 梅の花 香かをたづねてぞ しるべかりける 月夜に「梅の花を手折ってほしい」と言う人があったので、折って詠んだ歌 41 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香かやは隠るる 春の夜の梅の花を詠んだ歌 42 紀貫之 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひにほひける 初瀬(長谷寺)に詣でるたびに泊まっていた人の家に長く泊まらないでいて、久しぶりに泊まりに訪れたところ、主人が「このように今でも宿はございますよ」と皮肉るので、咲いていた梅の樹の花の枝を折って詠んだ歌 43 伊勢 春ごとに 流るる川を 花と見て 折られぬをられぬ水に 袖や濡れなむ 水のほとりに梅の花が咲いたことを詠んだ歌 44 伊勢 年を経て 花の鏡と なる水は 散りかかるをや 曇るといふらむ 水のほとりに梅の花が咲いたことを詠んだ歌 45 紀貫之 暮ると明くあくと 目かれぬものを 梅の花 いつの人間ひとまに 移ろひぬらむ 家にある梅の花が散ることを詠んだ歌 46 詠み人知らず 梅が香かを 袖に移して 留めてば 春は過ぐとも 形見ならまし 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 47 素性法師 散ると見て あるべきものを 梅の花 うたて匂ひにほひの 袖に留まれるとまれる 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 48 詠み人知らず 散りぬとも 香かをだに残せ 梅むめの花 恋しき時の 思ひ出おもひいでにせむ 題知らず 49 紀貫之 今年より 春知りそむる 桜花 散るといふことは 習はざらなむ 人の家に植えられた桜の花が咲き始めたのを見て詠んだ歌 50 詠み人知らず 山高み 人もすさめぬ 桜花 甚くいたくな侘びそ 我見み栄やさむはやさむ 題知らず。または、里の遠くを見る人も楽しまない山桜 51 詠み人知らず 山桜 我が見にくれば 春霞 峰にも尾をにも 立ち隠しつつ 題知らず 52 前太政大臣さきのおほきおほいまうちぎみ 年ふれば 齢よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば もの思ひもなし 染殿の后の御前で、花瓶に桜の花をお刺せになっているのを見て詠んだ歌 53 在原業平朝臣 世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 渚の院で桜を見て詠んだ歌 54 詠み人知らず 石走るばしる 滝なくもがな 桜花 手折りてもたをりても来む 見ぬ人のため 題知らず 55 素性法師 見てのみや 人に語らむ 桜花 手ごとに折りてをりて 家苞いへづとにせむ 山の桜を見て詠んだ歌 56 素性法師 見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける 花の盛りに京を見て詠んだ歌 57 紀友則 色も香も 同じ昔に 咲くらめど 年ふる人ぞ あらたまりける 桜の花の下で年を老いることを嘆いて詠んだ歌 58 紀貫之 誰しかも 求めてとめて折りつるをりつる 春霞 立ち隠すらむ 山の桜を 折った桜を詠んだ歌 59 紀貫之 桜花 咲きにけらしな あしひきの 山の峡かひより 見ゆる白雲 和歌を詠むようにとおおせられて詠んだ歌 60 紀友則 み吉野の 山辺やまべに咲ける 桜花 雪かとのみぞ あやまたれける 寛平の御代、后の宮で行われた歌合せの歌 61 伊勢 桜花 春加はれるくははれる 年だにも 人の心に 飽かれやはせぬ 三月に閏月のあった年に詠んだ歌 62 詠み人知らず 徒なりあだなりと 名にこそ立てれ 桜花 年にまれなる 人も待ちけり 桜の花の盛りに、ずいぶん訪れのなかった人がお越しになった際に詠んだ歌 63 在原業平朝臣ありはらのなりひらのあそん 今日けふ来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし 消えずはありとも 花と見ましや (62番収載の歌に対しての)返歌 64 詠み人知らず 散りぬれば 恋ふれどこふれど験しるし なきものを 今日けふこそ桜 折らばをらば折りてめをりてめ 題知らず 65 詠み人知らず 折りとらばをりとらば 惜しげをしげにもあるか 桜花 いざ宿借りて 散るまでは見む 題知らず 66 紀有朋きのありとも 桜色に 衣は深く 染めて着む 花の散りなむ 後の形見に 題知らず 67 凡河内躬恒おほしかふちのみつね 我が宿の 花見がてらに 来る人は 散りなむのちぞ 恋こひしかるべき 桜の花が咲いたのを見に来た人に詠んで贈った歌 68 伊勢 見る人も なき山里の 桜花 ほかの散りなむ 後ぞ咲かまし 亭子院ていじいんで行われた歌合せのときに詠まれた歌